キツネは策士と看護師

キツネのようなずる賢い私が看護師しているさすらい奮闘日記

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人間は人生の経験を積むほど、より恐ろしさを増していくのが如実に分かる話

ごめんなさい、タイトルばかばかしく気取ってみました(笑)
今回はうちの家族の話ですが、タイトル全く関係ないです。













今回はうちの祖母の話。
私は小学生時代、介護経験があるが、それとは別に可愛がってもらった面白恐ろしの話がある。








これはうちの母方の祖母。
私が高校生の話である。
当時私は祖父母宅で母と4人で同居していて、文字通りの三世代家族で会った。



祖父母(初代)→母(二代目)→私(三代目) みたいな(笑)



で、実は祖母は二代目(母)、三代目(私)が腰を抜かすぐらい、とんでもないことをしょっちゅうしでかす人である。
Gさんでキャーとか言ってる二代目(母)、三代目(私)なんてひよっこ過ぎて屁でもないらしい…(′D`卌)
そんな祖母であるが、武勇伝が面白いくらいいくつかある。
今回は私・mkが今でも腹を抱えて笑えるTHE・武勇伝伝説をご紹介しよう。














ケース1:孫には「わんこちゃん」娘には「この犬畜生が!!」

タイトルの時点でウケる可能性大な話である。
おそらく勘のいい人は、このタイトルの時点で笑いのツボをごり押ししたと思う。



これは私が祖母と近くのスーパーで買い物をしたときの話である。
高校生の頃、地元は坂が多い土地で祖母も年齢のせいか、足腰が弱っているので、私が同行して買い物に行っていた。

スーパーの近くで、かわいらしいプードルと散歩している人と行き違いになった。







DSCF0680.jpg

(とってもかわいいプードルちゃん)






そんなプードルちゃんを祖母は見た途端、私の後ろに隠れた。
歩く速度も歩幅も小さい。
犬がこわいのかな…?と思い、私はなるだけ祖母をプードルちゃんから距離を空けて歩いていた。




そして、プードルちゃんが何事もなく、通り過ぎた後に祖母がこんなことを言った。







「mkちゃんわんこちゃん好き?ばあちゃんね、わんこちゃん怖くて触れんのよ・・・にゃんこちゃんもね、怖くて・・・」






どうやら相当プードルちゃんがこわかったようだ。
買い物道中は、犬や猫にすれ違うことなく、無事帰路に就いた。




そんな話を、母にしてみた。
祖母がだいぶこわそうだったから、何かあったのかと思って。
すると母の言葉は耳を疑う一言だった。









「あんたばあちゃんに騙されたね。ばあちゃんね、母さんが子供の時、犬とか猫とかが家に入ってくるだけで、『この犬畜生が!!!家が汚くなるやろーが!!さっさと出てきやがれ!!!って言ってほうき持ってきて追い出してたよ。あんたばあちゃんに可愛い可愛いしてもらってるから、孫にはわんこちゃんとか、にゃんこちゃんとか言ってたんじゃないの?」









なんとも耳を疑った一言である。しかし、ばあちゃん。言い方がまるでヤクザだ(笑)
ちなみに、母が子供の頃は犬猫を家に入れて飼うのは厳禁
もしこれが祖母に見つかるようなら、ほうきだして↑の発言まっしぐらである。








オ、オソロシ…(°凸°)=3











いや~、だーまされた(爆)




ばあちゃん、この記事を借りて申し上げる不遜な孫を許してくれ。












もう動物見たらねこかぶりしなくていいから






ばあちゃん、お詫びに実家帰ったら築地市場でおいしいお刺身土産に買って持ってきて来るよ…。
この記事書いて思うのは、私だけがずる賢いんじゃなくて、ずる賢さは血肉と共に遺伝していくんだね (´w`;)ソリャナイヨ・・・


もういっちょの話。これは母から聞いたばあちゃん最恐武勇伝である。









ケース2:「悪いことしたらヒイ病院へ連れて行くぞ」

これは母と伯父(母の兄)が体験した恐ろしい話だが、後年の私から聞けば2人のあほっぷりが強調される、素晴らしい思い出である。
母と伯父は戦後復興期の1960年代生まれである。
(ちなみに祖父母は戦時真っ只中1930年代生まれ)


歳が3つ違いの2人は、しょっちゅう喧嘩しており、祖母にしこたま怒られて育ったそうだ。
その喧嘩を強制的に中止させる、最恐の言葉がある。







(長崎弁を交えてお送りします)




祖母「あんたたち(母と伯父)よう喧嘩ばっかしよって。喧嘩ばっかしよっと、「ひい病院」に連れてくけんね!」
母・伯父「!!!!」










この会話だけだとひい病院ってなに?と思う読者諸氏多数だと思う。
mkもはじめ事情がよくわからず、なんだそのひい病院て?昔はそんな病院もあったのか?なんて考えもしていたが、母から聞いた話は想像以上のものだった









母「あのね、母さんと伯父さんずっと思ってたのがいつも病院が炎に包まれた病院ってことだったんよ」
私「そんな病院あるわけねーだろ








思わず突っ込んでた。
だっていつも病院が炎に包まれている=火事が常に起こっているとか、もう病院の機能なんて果たしてねーじゃねーか。
しかしこの話には続きがある。





母「いいからよう聞け。それでね、母さんも伯父さんもその「ヒイ病院」がとにかく怖くて、ばあちゃんを怒らせたら「ヒイ病院」に連れてかれるってずっと思ってたんよ。で、大学に行って伯父さんが真相突き止めたんよ。その病院の正体」







どうやらその「ヒイ病院」とは昔の結核専門の隔離病院のことを指す言葉だったらしい。
その病院は、(今では差別発言になるかもしれないが)結核の患者さんを隔離して山の奥に収容していたらしい。で、疑問に残る「ヒイ病院」の正体が分かって、常に炎に包まれている病院ではないことが分かってホッとした母。普通そんな病院ありませんから。






で、なぜ「ヒイ病院」なんて言われるようになったかというと、もともと当時は結核病院は自分たちが行くところでもなく、結核自体に恐ろしさを感じていて普通の病院とは違うのでまず「ヒ病院」という言葉で浸透していたらしい。で、まかりまかってばあちゃんの方言が純・長崎訛りなため「ヒ病院」と言うところを「ヒイ病院」と呼んでいたことがそもそもの発端だった。
という話。





事実を知ったらなんだ~なんて別になにも怖がる必要はないが、母と伯父は、この真相を伯父が大学を卒業する歳になるまで、全く知らなかったという。
ちなみに2人とも50をすぎて「ヒイ病院」の真相を知っても怖いともらす。
やっぱり常に炎に包まれている病院はきっとあるんじゃないかと…




繰り返すが、そんな病院ねーんだよ(あったら仕事なんてできねーじゃん)←そこ









ケース3:ブラックモンブランの当たりくじがほぼ100発100中で当たる祖母
まず読者諸氏は「ブラックモンブラン」というアイスをご存じだろうか?
アイスを食べてアイス棒の当たりくじを引き当てる、あれである。











(全て食べたあとの「あたり」が楽しみ)

このブラックモンブランを伯父はよく母に買わせていたが、母が買ってもあたり1本もってくるどころか、ほとんど「はずれ」くじしか持ってこず、母は理不尽にもそれでよく叩かれていたらしい。
そこで、買い物に行く祖母に伯父は言った。



「ブラックモンブランというアイスを買ってきてくれ」と。



了承した祖母は、ブラックモンブランを買い、伯父と母に与えていた。
するすると、「あたり」を確認しようと躍起になってアイスを食う伯父。

これは2人が子供の頃の話であるが、50過ぎた今でも頑張って当たりくじを祖母に買ってもらおうとするが、これも歳のせいか、ほとんどはずれのやつばかり買ってくるようになった。


で、結果は「あたり」だった。
ばあちゃんすげー。二代目(母)、三代目(私)はほとんどはずれしか引かないのに、なんで祖母は当たりくじが引けるんだ。

我がmk家七不思議のひとつである。

で、伯父はそれからというもの、ずっと祖母にブラックモンブランを買ってもらってきていた。
とにかく伯父は、「あたり」を見たくて仕方ないそうだ。
ちなみに伯父は今でも夏になれば、勝手にクーラーガンガンにした部屋でゴミ箱の前でブラックモンブランを食っている。(ゴミ箱がいるのはブラックモンブランのかすを畳にこぼさないため)←祖父母の家は基本畳



その後ろ姿を見ていた当時高校生の姪っ子(私)は思った。






じゃあオメー(伯父)が買えよ」と。










今回は私がウケた伝説ベスト3を集めてみました。
もし機会があれば、またちょこちょこアップしていこうかと思います。

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